モダンな電車 モデン

1930年の横浜延伸に伴う運用の増加分と急行運転開始のために製造されたのが100形です。31・51形の血を引くも、大きくデザインが変わり、その窓ガラスの優美さなどからモダンな電車、略して「モデン」と呼ばれた電車です。

モデンと呼ばれた車体

100形は51形の3枚窓の平面上デザインを意匠し、よりデザインを凝った車両です。今までの運転台は中央部にあり客室と同じ空間で、運転士が立つ部分だけ仕切りがあるというものでした。しかし100形では初めて運転台を左の片隅に寄せ、乗務員扉を新たに設け、運転士の労働条件を向上させました。そして前面の貫通扉は折り戸式を採用したうえ、貫通扉窓を出来る限り広げて、デザイン・展望面も含めて特徴的なものとなりました。側面では急行運転を主体としたため、3扉から2扉にし、窓の上部にはRを付けるなど、デザインをかなり意識した車両です。また溶接技術が進んだことからリベットの数が51形に比べて半減されています。外装だけではありません、車内は間接照明を用い、車内灯の光が乗客の目に直接当たらないように配慮されています。つり革にはリコ式が使用されました。これはつり革にバネが内臓されており、乗客がつり革を持つ際に引っ張らない限りは車体外側に向かって固定されるので、よく揺れる横藤電車としてはつり革が全く揺れなくなるので画期的なものでした。
このことから100形は悲願の横浜進出を達成した横藤電車の強い意気込みが感じられます。デザイン性などは好評で、昭和モダンを具体化したものでした。乗客やファンなどからは「モダン・ボーイ」、「モダン・ボガ」を「モボ」、「モガ」と呼ぶように、100形のことを「モダン電車」略して「モデン」と呼ばれました。

150形は1933年の創業20周年に際して、100形の機器をベースに車体側面に明かり窓を設置し、景色が見えやすいように工夫を凝らした電車です。100形が製造されたころより、さらに溶接技術が進んだことからリベットは車体裾部だけとなりました。また車内の一部分にはクロスシートが設けられて、フラグシップ的な意味合いを持っています。しかしこのクロスシートは戦争が悪化した1944年に混雑を防ぐために廃止されてしまいました。

31形をさらに発展させた機器

モーターは31形で採用したウェスティングハウス社のWH546-Jを4基搭載しました。制御器は三菱電機のABF制御で自動進段制御となりました。三菱はウェスティングハウス社と連携しているためであって、三菱電機とは現在まで電装品を当社に納めています。ブレーキには31形のSMEから、長編成などにも対応が可能なAMMに変更されました。また台車の軸受にはスウェーデンのSKF社製のローラーベアリングが採用されました。起動抵抗や走行抵抗が軽減されるため、なめらかな走行が可能となりました。

100形の歩み

100形・150形はあまり単車では使用されず2両~4両を組んで、登場直後は急行のみの運転を開始しましたが時には普通電車の運用にも充当されました。戦時中は急行運転が休止されたため、全車両が普通運用を強いられました。戦後は300形が増備されると、容量の少ない100形・150形の混雑が300形が充当される列車より目立ちました。そこでこの頃になると31・100・150形の小型車は6両などという長大編成を組んだ列車もあり、パンタが6個もあがって優等に入る姿は、多くの横藤ファンの脳裏に焼き付いてます。1950年には国鉄が東海道線に80系を導入するのに対抗して横藤電車も不定期ながら特急運転を開始することになりました。そのときに、31形・100形・150形や300形なども充当することになりました。1955年には高性能の特急車500形がデビューし、特急運用は無くなり、急行やラッシュ時の主力として扱われてくる時期になります。そして横藤電車の昇圧も決まり、次々と600形に置き換えられていきました。しかし晩年まで夏には海水浴特急に駆り出されたり、ラッシュ時の優等にも入るなど、急行車としての輝きは衰えることがありませんでした。そして1970年の昇圧を機に全車両が廃車となりました。しかし100形1両だけ原宿工場の片隅に取り残されていました。その1両は1980年、登場時の姿へと綺麗に蘇り現在でも原宿工場の片隅で余生を送っています。