もう路面電車とは言わせない

1930年に横浜駅に延伸することとなり、桜木町〜横浜間は地下線での建設となりました。しかし可燃性の高い木造車をそのまま地下線で使用するのは安全面で問題があることから木造路面電車タイプの1・21号形を廃車させ、新たに半鋼製の高速電車タイプの普通専用車を新造することとなりました。

31形をベースに普通用にアレンジした車体

側面は31形とさほど変わりが無く、14m級の3扉ですが、前面が31形の5枚窓のたまご型の形状だったのに対し、51形では3枚窓の平面状にモデルチェンジされました。31形では前頭部を曲線状にするために工賃が少しかさんでいましたが、平面上にしたことによって、工賃を引き下げ、またリベットの数を減らすことが出来ました。このデザインは後の100形、150形の基本ともなっています。また31形では赤茶色だった屋根色は灰色をなりました。これは後に急行運転を開始した際に急行車と普通車を的確に区別するためのものだと言われています。

普通用にセッティングされた機器

モーターは31形で採用したウェスティングハウス社のWH546-Jを4基搭載しました。制御器には手動進段のHL制御を、ブレーキにはSMEと機器類は路面時代から相変わらずですが加速がよく、応答性の高いブレーキングが可能なセッティングなのです。

51形の歩み

1927年に登場した51形。3年ほどで1・21号形を置き換えました。当初の計画通り51形は普通で運用され、31形・100形・150形が急行運用だったので、既に普通車と急行車が完全に分けて使われていたそうです。乗務員からは「やっぱり運転はHLとSMEに限るよな」と応答性のよい51形は評判の高かった電車です。1933年には平塚線と寒川線が開通したため、それに伴い新たに増備されました。その後は長らく普通電車として活躍しました。なお31形や100形などの急行車は普通電車に充当されることがありましたが、51形が急行電車に充当されたことはありません。

1970年に、横藤電車全線で600Vから1500Vに昇圧することが決定され51形は新型普通車700形に置き換えられ全廃となりました。