汽車に勝たんか

1915年に藤沢~山王橋開業に用意されたのが1号形15両でした。横藤電車の当時の技師長は今後横綱級の幹線東海道本線と競技しなくてはならないとアメリカのインターアーバンを視察し、施設、車両について学びました。その結果、軌間1435mmで駅間を官鉄より短くし、多くの客を取りながらも、横藤間を高速で結ぶことが望まれました。

 

車体は高速電車とはいうものの、一部区間は旧東海道上を走る併用軌道区間もあったので、救助網が装備され官鉄や他の私鉄並みに大形ではありませんでした。しかし14m程あるので二軸が主流だった路面電車に比べればかなりの大きさでした。

主電動機はウェスティングハウス・エレクトリック(WH)社製WH-38B(33.6kW)を4基搭載し、台車には高速運転を実現するためペックハム社製のものを履いています。

走り方は馬の如し

開通日付けの新聞を見てみるとけふ開通した横藤電車は、汽車を牛とするならばその走り方は馬の如し」と書かれています。これは汽車は高速で走る分にはいいものの、加速は鈍かったのです。しかし1号形は猛烈な加速とピタンと止まる性能で馬のようだという評判を得ました。速度は時速12キロでの運転を原則とするよう国から許可を得ていましたが、実際にはスピードメーターが無く65キロという認可速度より破格のスピードが出ていたようです。その後は1930年の横浜駅地下線乗り入れのため、木造車は全て51形に置き換えることになったために21号形と共に姿を消しました。