1923年9月1日。激しい揺れが関東一円を襲った。これは神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた関東大震災である。もちろん当社も被害にあった。江の島では津波が来ると大混乱になったり、横浜市内では多くの建造物の倒壊などがみられ、電車は大混乱。車両も何両かが犠牲となったり施設も一部が使えないものと化した。そんなピンチを逆に利用しようという声が上がった。それは本来インターアーバンとして開業した横藤電車だがインターアーバンは高速に走るという意もあった。しかしこの頃はまだ路面区間もあり、車両やトロトロと走る姿は紛れもなく路面電車というべきだった。震災の復興と合わせ、車両や施設の大型化を進めることになった。1924年には高速電車スタイルの31形の導入がされた。また横浜復興事業の一つとして、新たに高架線で市内中心部まで乗り入れることになった。これは山王橋がターミナルであった当社にとっては悲願の達成であり、1925年には横浜の一大繁華街伊勢佐木町、1927年には省線と乗り換えのできる桜木町。そして1930年には京浜電鉄や東横電鉄が乗り入れをするジャンクション横浜駅へ、地下線で乗り入れを果たした。また同時に停車駅を少なくした急行が運転を開始した。これにより緩急接続ダイヤが確立され高速電鉄という名に恥じない電鉄へと変貌していった。