1941年から始まった太平洋戦争も激化し、1944年には急行運転を廃止し、国策により無駄な駅などは廃止・休止などされ、また職員も大量に男性が徴兵されていったため女性を導入するなど戦争1本に絞られた体制になった。国策の影響として他に挙げられるのは電鉄事業と並んで、大きな収益を上げていた配電事業が1942年に関東配電株式会社に譲渡された。また当時の車両が14m級と小型の車両を使っていたことを戦争の工員輸送に支障をきたすとして、軌道、施設の改良工事が行われた。結局戦時中に大型車の導入には至らなかったが、これは後に登場する大型車の導入がスムーズになった。車両面では灯火管制に協力するため前照灯にカバーを設置したり(後にカバーは取り外された)、クロスシートの廃止をし、ロングシートに改造されり、座席を取っ払ったものも現れた。

 1945年5月29日に横浜大空襲や7月16日の平塚大空襲などで施設、車両は荒廃した。特に横浜大空襲は昼に爆撃され、横浜市内の高架線を走っていた電車などは爆撃を受けたりし、多くの命が犠牲となったのは悲劇である。